楠 誓英 『禽眼圖』 書肆侃侃房 2020年
片側が翳っている樹がそよいでいる、という単純なものではないらしい。
「片側を闇にのまれて」となると、樹の自由にはならない闇の存在が色濃い。生き物のように、そして、否応もなく樹の片側をのんでしまう闇だ。半身を闇に奪われつつ、それでもなお戦いでいる樹。それが、「かつてのわたくし」だという。
かつての自らを「片側を闇にのまれてそよぐ樹」と重ねる作者には、どのような過去があったのだろうか。
跳ねてゐる金魚がしだいに汚れゆく大地震の朝くりかへしみる
柩なく死体はならびて窓とまどほのほのあかり揺らめいてゐた
花の色素つきたる兄の骨いだくあの日のわれが雨降る奥に
あかつきに傷をさらして耐へてゐき十二のわれかただよふ浮標よ
作者は、1983年、神戸市生まれ。
1995年の阪神・淡路大震災に遭遇したときは、十二歳であった。
詳しいことは分からないが、これらの歌からは兄を亡くしたことがうかがえる。柩もなく並べられた死体、地震とともに発生した火災の炎の揺らめき。その中で、傷をさらしながら耐えていた十二歳の「わたくし」。大地震の朝の、水槽から飛び出した金魚が跳ねながら次第に汚れてゆくさまは、その後に起こったことの前兆のように記憶され、くりかえしくりかえしフラッシュバックするのではないか。
十二歳で遭遇した大震災は、あまりにも苛酷であった。「片側を闇にのまれてそよぐ樹」は、死の側に半身を奪われてしまったかのような「わたくし」なのだろう。
亡き兄のかはりになれぬ日の暮れに礫のひとつは波紋なく落つ
悲壮なる猛禽の叫び天にあり奪はれつづけ残りしかわれ
こういう歌もある。亡き兄を思いつつ、その一方には「死なざるわれ」を置く。死者の代わりにはなれないけれど、生き残ったということもまた痛みであるのだ。
だが、「片側を闇にのまれてそよぐ樹」を「かつてのわたくし」と詠っているのであれば、今の「わたくし」はそこからは脱している。あの日に負った痛みが消えることはないにしても、もう「闇にのまれて」はいないにちがいない。