永井 祐


ひこばえの低く吹かるるひまに見ゆ雀の貌のかくあきらかに

玉城徹『われら地上に』

 

 

「ひこばえ」とは樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。
太い幹に対して孫(ひこ)に見立てて「孫(ひこ)生え(ばえ)」というそうです。
いきなりWikipediaをほぼ引きうつしているのですが、画像検索するとすぐわかってけっこう誰でも見たことあるやつです。
春から夏にかけて多く見られるそうで、俳句だと春の季語になっている。

「低く吹かるる」となっていますが、若芽なのでまだ背は高くない。
それがちょっと風でゆれている。その間から雀が見える。
「ひま」はものとものとの間、隙間という意味。退屈という意味ではない。
ひこばえが揺れる間から雀の顔が見えた。
「見ゆ」は自動詞で「見える、目に入る」。
だから、そこにいた雀の顔を見る・見つめるという能動的な感じじゃなくて、目に入ってきたというようなところ。
「かくあきらかに」は思い切って意訳すると「こんなにくっきりと」といったところでしょうか。

「雀の貌のかくあきらかに」はとても印象的です。
見えているところが「貌」っていうのも少し不思議だし、それがくっきりと明るく見えるという。
短歌で何かが見えるっていうのは多いと思うのですが、もっとぼんやり見えるほうが多いと思います。もっと喩的で、心的・抽象的な意味を担うように見えるもののほうが多い。

春とか初夏の夜の若芽の間に、くっきりと浮かぶ雀の顔。
その場の空気が感じられるし、変な言い方ですが、独自の現実感があるような感じがします。
同じ歌集に下のような歌もある。

 

花むらの蕋見をりけりりうちて夜空にむかふしべかぎりなし

 

これもたとえば「反りうちて」から、無数にあるしべの一本一本にクリアに焦点が合っているような、不思議な感触のある歌だと思います。

 

ギプスよりいつしか抜けてすべすべとわが足ありきあかときがたに

 

こういうのもある。「すべすべと」が印象的で、自分の足が何か自明のいつものあり方をはみ出した何物かになっているような感じがします。

 

くっきりと見える雀の貌、一本一本が反りをうつ無数のしべ。すべすべとした明け方の自分の足、それぞれだけど、どれも独特の存在の感触がある。