久我 田鶴子


常に世界にひかりを望むといふやうな姿勢ゆるめて緑蔭をゆく

荻原 裕幸 『リリカル・アンドロイド』 書肆侃侃房 2020年

 

初夏にもなると、急に陽差しが強くなる。気がつけば、強い陽差しを避けて、木陰を選んで歩いていたりする。

世の中はいつだって「ひかり」を望んでいるようだけど、時には「ひかり」を避けたい場合もあるでしょう。今日は、「常に世界にひかりを望む」というような姿勢をゆるめて、緑蔭を選んでゆきますよ。というのが、この一首の静かな主張だ。

「常に世界にひかりを望むといふやうな姿勢」に見られる正義感。たしかに、それは正しい。世界に闇を、ではなく、世界にひかりを、だ。だが、「常に世界にひかりを望む」となると少し違うような。「ひかり」以外はすべて否定され、思考の柔軟性は失われてしまう。

「緑蔭をゆく」作者は、そういう「姿勢をゆるめて」ゆくと言う。「常に世界にひかりを望むといふやうな姿勢」を否定してかかるのではなく、おそらくは自分自身の中にもあるものとして認めつつも、思考の柔軟性は失ってはならないと言うのではないか。

ほらね、陽差しを避けて緑蔭をゆくってこともあるよね。「ひかり」ばかりが望まれているわけじゃないでしょ、「ひかり」を避けたところが快適ってこともあるでしょ、と。

初句から字余りをものともせず、散文的なひとつづきの表現で結句の「緑蔭をゆく」へ。そこには、言いたいことを手放さず最後まで言い切る作者の姿勢がうかがえる。

 

母音のみのしづかな午後にペダル漕ぐ音を雑ぜつつゆく夏木立

新緑はご覧のスポンサーの提供であなたの窓にお送りします

人の内部はただの暗がりでもなくてあなたの底の万緑をゆく

 

静かな午後に自転車を漕いでゆく夏木立。窓から見える新緑の風景。人の内面が見せてくれる万緑。

この作者の手にかかると、すでに知っているはずのものが詩的で、新鮮なイメージとして見えてくる。