永井 祐


はやりかぜの熱おちゆきてしづかなる畳のうへにわれはすわりぬ

斎藤茂吉『白桃』

 

『白桃』からもう少し。
この歌は、前回から少し後の歌。前回、年末年始も体を壊さずに来れた、みたいな歌を引きましたが、今日の歌はおそらく二月末から三月くらいの歌。
忙しいときを体調崩さずに乗り越えられたと一息ついたところで「はやりかぜ」にやられた。
ありがちな話。忙しくて気を張ってると体はきつくても風邪は引かない。乗り越えてほっとしたところで引く。
まあ、ほんとうにそうなのかどうか知りませんが歌集で読んでいると、そういう流れを思い浮かべる。
「はやりかぜ」はその年に流行したインフルエンザみたいなものかと思いました。普通の風邪と違ってしばらく高熱が続くような。
そしてこういう想像はすべて実は歌の手柄というか、今日の歌はいかにも高熱が引いた感じというのが出ているように思います。

熱が引いたあとに「畳のうへにわれはすわりぬ」と続くのがいいと思います。
できあがった歌を見ると何でもない感じに見えますけど、とても秀逸だと思います。
熱が引いて→ピンピンして外を歩いたとか、熱が引いて→ご飯が食べたくなった、とかだときっと上手くいかない。
熱のつらさがはたと消えていること、畳の上に座ってみて「お、元気になってる」と感じること、あたりが「しづか」なのがくっきりわかること、畳の感触や見え方までが熱のときと打って変わっていること、「あー、きつかった」と思い返したりすること、
そういう、熱のときから別世界に入っているような感じが、とても伝わってくる。
こういうのは不思議ですね。きっと韻律とかそういうことも関係しているのでしょうけれど。

 

いで湯よりあがり来りてわれひとり濡れしタオルを釘にかけたり

 

もう一首。
これは、上高地の山の宿みたいなところに泊まったときの歌。
一人で温泉に入って出てくる。そのときのこととして、これも「濡れしタオルを釘にかけたり」が絶妙という感じがします。
一人きりの孤独みたいなことを読み込んでもいいと思いますが、
温かい水を含んだタオルの重さ、釘の感じとかがありありと伝わるような気がして、印象の強い歌でした。
山の暗さとか、宿の部屋の感じまで。連作で読むとそれらもいろいろ出てきます。

今日のは、一首目は『茂吉を読む』(手元に見つからなくて記憶ですが)で、二首目は『茂吉の方法』で取り上げられている歌です。