永井 祐


ものねたむ心おこりもなくて我が歩みゆく道のどろも氷りぬ

斎藤茂吉『白桃』

 

同じく斎藤茂吉ですが、前回は大正2年の歌で今日のはその20年後、昭和8年の歌。
歌集は『白桃』(しろもも)。
斎藤茂吉はけっこうくっきりとした個性で知られますが、読んでいると歌の上で前期と後期ってあるなという感じがして、今日のはその後期のはじまりくらいの歌になるかと思います。

『白桃』、直に読んでいると妙に気になる歌がちょくちょく出てくる。名歌っていうのと違うけれども、気を引かれてしまうような。

 

いのちながくしてらふさちはひを年のはじめにまうさざらめや

 

「さちはひ」は幸い、幸せの意でしょう。
「まうさざらめや」は「申す」と反語の意味の「ざらめや」で、「申し上げないだろうか~いや、申し上げる」。
これは新年詠。とりあえず早死にはせずに経済的にも足りている幸せを年のはじめに(みなさんに?)申し上げよう、という感じでしょうか。
「富み足らふ」のワードが強くずいぶん言ってくるなと思うし、「いのちながく」とはいえ、まだまだ50歳だったりして、90歳が言うのと違う。
昔の定型的な新年の挨拶みたいなものかもしれないけれど、ちょっと「こんなこと言う?」という気がする。

 

年の暮よりあたらしき年にうつるまの時のひらめきにも病むこともなし

 

ばたばたする年越しのあいだも体を壊さずにこれた、というようなことかと思いますが、「時のひらめき」がとても面白い。あまり見ない表現である上に言い得ている感じがする。

今日の歌はこんな流れで出てきます。
富み足りているからかはわからないけれど、嫉む心が起こらない。俺も年取った、足りちゃってるみたいなところかもしれない。そして、道の泥が凍っている。「泥も氷りぬ」の「も」がいいような気がします。あまり強くない、なにか投げやりみたいな感じ、「泥も氷ってるし」みたいな。「心おこりも」の「も」とかぶさっている。「嫉む心も起こらない、泥も氷っている」。

そして韻律構成、三句が「なくて我が」となっている。
堂々と行くんだったら、下句を「我が歩みゆく」とはじめるかと思います。それがちょっとずれて「なくて我が/歩みゆく道の」となっている。

少し倦怠感ただようトーンをこのへんの、「も」という弱めの助詞のかぶせとか、韻律のちょっとしたずれが表現力豊かに伝えている。

『あらたま』の歌からまた違っています。