永井 祐


その尻毛編みて垂れたり美しき出走馬をり走る前なる

森岡貞香『夏至』

 

競馬ですよね。
いわゆるパドック、出走前の馬たちが輪になって歩いて、客がその様子を見る。
馬の見た目や歩きぶりを見て、馬券の参考にしたりする。
あれのことかと思います。
「尻毛」は尻尾のこと。尻尾の毛が編んであって、きっととてもきれいに垂れている。
おそらく実用的な理由によるのだろうけれど、競走馬は毛が、たてがみなどがよく編んであったりする。リボンがついていたり。
パドックだとけっこう360°見られるので、いろいろ観察できる。
尻尾の毛はストレートにしているのが美しいイメージもありますが、編んでいるのが似合っていたのかもしれない。
それで、歌として面白いのがなんといっても結句「走る前なる」かと思います。

「なる」は「なり」の連体形なのかと思います。連体止め。
連体止めは、解説など読んでみてもわりと説明が曖昧なことが多く、余情が残る、詠嘆、声調の問題、とかいろいろ言われるのを見たことがありますが、
ここではやはり「走る前なり」とはできないと思われます。
文語遣いに深くは踏み込めませんが、
「走る前なる」の連体形は、「走る前なる(その出走馬)」というように、もう一度、馬を言い直すニュアンスがあったり、
「走る前なる(もの)」という、ひとつ次元を深くしたようなニュアンスもあるように思います。

「走る前」は当たり前というと当たり前なわけですけど、
なんというか、今、馬が歩いている状態の中に、時間的な未来の「走る」が入り込んでいるというようなことなのかと思います。
パドックの馬は出走前の臨戦態勢なわけなので、「これから走るぞ」という感じは出してると思うのですが、そういうことを言っているわけでもない気がします。
なにかわざわざ言うことで、「走る前」であることの当たり前さがくずれて、とても不思議なことのように思えてくる。

ちなみに章題は「走る前のこと」というもので、ほかにもう一首ある。

 

しろく光る自転車に来て去ぬる友のかたへにわれはたたずみたりし

 

「走る」は、同じものの存在の様態が変わるということなのかもしれない。

今日の歌、目立つ歌ではありませんが、「走る前なる」の結句が奇妙に深く響いて丸をつけた歌でした。
結句の不思議な深さということで言えば、下の歌をちょっと思い出しました。

 

街道かいだう駆歩くほする歩兵一隊が横に折れたりその最後さいごへい  斎藤茂吉