カツレツの厚みや苺の個数にも差をつけたがるわが妻の愛

岡本 勝 『花の季節』 本阿弥書店 2021年

 

見比べて、カツレツなら少しでも厚みのある方を、苺なら数の多い方を自分にくれようとする。そこに夫は、妻の愛を感じている。

愛を言うのに、カツレツの厚みや苺の個数が出てくるところがいい。日常の暮らしの中で示される妻の愛の、ささやかだけれども、何とも言えない温かさ。また、その愛に気づく夫の、妻を思う気持ち。(こういう愛情表現に少しも気づかない夫も、世の中には大勢いることだろう。)

「差をつけたがる」という表現もいい。そんなことしなくてもいいのに、という思いが滲む。けれども、そこにも愛を受け止めている嬉しさがあることは言うまでもない。

 

午前四時寝床に入れば暁暗に「ホトトギスよ」と妻の声する

中天にかかれる月を見よと呼ぶ秋のテラスの妻の後姿うしろで

父母見舞ひ夕べ帰れば「三日月が出てる」と凍てぞら指さす妻は

 

こういう愛の示しかたをする妻でもある。ホトトギスの声を、空にかかる月を、一緒に聴き、一緒に眺めようと夫に呼びかけてくる。

明け方まで仕事をしていた夫を、老いた父母を見舞って帰ってきた夫を、直接的な言葉で労うのではなく、ふっと違う空間に連れ出すことで温かく包み込む。同じ方向を見て、こころを寄り添わせるところに、この夫婦のかたちが浮かび上がる。

作者は、仙台市在住。夫婦ともに東日本大震災に遭遇し、閖上や荒浜のその後の様子も身近に見つづけている。老いてゆく父母を見舞い、やがて父を送り、自分たちも衰えてゆく身体を労り合うところにきている。

夫婦で負う、さまざまな悲しみや寂しさ。その中には、もう一つの悲しみがあるようだ。

 

ときを遅れ咲くゆふがほに自裁せしわがおもふもかなしかりけり

冬ざれの庭に赤き実ともりゐて亡き子顕ちくる逢魔が時は

 

言葉を超えたところで支え合っている夫婦の時間が、細やかな愛情表現となっているのだろう。

 

 

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