葛原妙子『原牛』
前回と同じ歌集、同じ連作からもう一首。
しんとした歌だなと思います。
長い廊下を進み、角を曲がって歩いてきて、自分の部屋の前にたたずむ。
部屋は「しづかな蔵」になっていた。
「蔵」は、辞書的には家財・商品などを安全に貯蔵するための建物。
浮かぶのは古いタイプの建物で、けっこう立派な蔵。わたしの場合は。
連作タイトルが「雪蔵」で、この歌は一首目なのでイメージがかぶさって、思い浮かべるのは冬にしんと立っている蔵。ひと気はなく、あたりは雪なのかもしれない。
「部屋」と「蔵」は、形も似ているし、派手な比喩とか飛躍ではないようにも見えますが、きっとそこには大きな変貌があって、前回の「パン焼き竈」みたいに「しづかな蔵」を目の前に見て息をのんでいる。
「長き廊折れ曲りきて」のところは大事そうです。このちょっと迷宮みたいな感じが、下句で起こることの前段になっている。
何か洋館みたいな感じなのかな。何階か建てで、地上階のことではさそうな。
折れて曲がって、ずっと廊下を歩いて、自分の部屋にたどりつく。
そこが雪の中に立つ蔵に変わっている。わたしはおどろき、圧倒されてその前にたたずんでしまう。そういう歌かと思います。
蔵には圧倒的な感じがあるような気がします。
ものを守っているところなので普通は堅固に作られている。中の空間は広く、がらんとした中にものがしっかりと積まれていて、人が暮らすところではない。
堅固で非人間的なところ。
よく知っている自分の部屋が、いきなりそんなところになっている。
雪の蔵にはそういう怖さがあって、またそういう美しさをたたえて立っている。
「たたづめり」と「しづかな」から、そういうところまで読み取れるように思います。
連作では続く歌がこうです。
水銀柱ひとすぢ頭上にあるのみこのひたすらの冬夜を愛す
薄き雪膝に射すときたもちゐるわれの寒さをうしなふまじく
「水銀柱」とは水銀圧力計、温度計などの中の水銀のことだそうです。