高尾 恭子 『裸足のステップ』 現代短歌社 2020年
※「鋭」に「と」のルビ
厳しい現実のなかで、打たれることはけっこうある。打たれて鍛えられて、鋼のようになれるのだったらいいかもしれないが、なかなかそうはいかない。そんな時に空を仰いで見ると「乱麻の鎌ほどに鋭き」月。
「乱麻」は、そのままでは〝こんがらがった麻糸〟だが、「乱麻」とくれば「快刀乱麻」、「快刀」を忍ばせている。「鋭き」は形容詞「鋭し」の連体形で、鋭いこと。
ため息を吐きながら仰いだ空には、切れ味の良さそうな鎌のようなかたちの月が鋭く光っていたのである。
「月は乱麻の/鎌ほどに鋭き」と、声に出して読んでみる。名調子で決まっている。見得でも切りたくなる。映像的にも、きっぱりしていて隙が無い。
打たれて、凹んで、仰いだ空だが、こんな月を見ては凹んでばかりもいられまい。
われをのみ照らすにあらぬ清月の白き刃に首洗いおり
この歌では、「われをのみ照らすにあらぬ清月の」までが序詞のように働いている。言葉の運びが鮮やかだ。「せいげつの」と音読みして、次に繫いでいるところもピシリと決まっている。
〈わたしだけを照らすのではないにしても、その清かな月の〉と来て、「白き刃に首洗いおり」。明るく冴えた月の光になら切られてもいいと首を差し出している感じである。
サムライのごとき佇まい。と思ったら、こんな歌もあった。
人ひとり斬り捨てし夜きしきしと背骨疼けり寒の戻りに
サムライの国に焦れし自画像の瞳ぽっかり海を見ている
「人ひとり斬り捨てし」は、言うまでもなく比喩である。エイヤッとばかりに言葉で相手を斬り捨てたのだろう。しかし、斬り捨てたものの後味が悪い。背骨の疼きは、人ひとり斬り捨てたことから来る。
後の歌は、ゴッホ展に行ったときの歌。ゴッホの自画像を見て、日本に憧れていた画家に思いを馳せているのである。