「夏苦しい」たった一言そう書かれたアルバム評を手に走り出す

盛田志保子『木曜日』

 

 

前回が夏っぽいという話で終わりましたが、
連想的に今日の歌を思い出しました。

CDを買いに行くっていう歌だと思うんですけど、
その高揚感みたいなものが歌に乗っていて、けっこう僕は「わかる」っていう感じの歌です。
たぶん新譜のレビューで、「夏苦しい」とだけ書いてあり、それだけで全部わかって買いに走る。
なにか音楽も、レビューする人も、買いに走る人も一気に全部一致していて、こんな幸福な瞬間はなかなかない気がする。
「アルバム評」を持っていく必要は特にないけれど、読んで持ったまま走り出してしまう。

いちおう分析的にみると、
特に上句が6・7・6で字余り気味になっている。
初句「夏苦しい」で一回音が止まって、二句三句と余りながら走り出していく感じに、高揚感が乗っているような気がします。

なんとなく思い出すのは、
90年代末に「ロッキング・オン・ジャパン」などのレビューを読んでCDを買っていたころのことで、
そういう評は、必ずしもシャープな批評という感じではなく、またアカデミックな分析や位置づけでもなく、さらにアーティストの基礎・周辺情報を豊富に与えてくれるものでもなかった。
とにかく「好き」という気持ちを伝えるものだったり、さらにはこれが好きな自分の話が書いてあったりもした。
しかしとにかく熱量はあり、その熱は音楽の持っている熱と混ざり合って、そのまま延長したようなものだった。
この「アルバム評」はすごくそんなイメージです。
音楽は特別、みたいな感覚ってあって、音楽が好き、好きな音楽があるということが世界に恋をしていることと同義みたいな。そういうのあるなと思います。

歌集『木曜日』は夏の歌けっこうある。
これも好きな歌です。

 

見ぬ夏を記憶の犬の名で呼べば小さき尾ふりてきらきら鳴きぬ

 

 

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