体験を語らずに逝く人たちを思う小川の白き藻の花

北辻 一展 『無限遠点』 青磁社 2021年

 

作者が医師を志して、故郷の長崎に戻り、そこで医学生として過ごした頃の歌。

「体験を語らずに逝く人たち」は、直接的には〝長崎で被爆した体験を語らないまま亡くなる人たち〟ということのようだ。

四句が「思う小川の」と、句割れになっている。「思う」が「小川」にかかっていると読むならば、「小川の白き藻の花」が思っていることになるが、ここは「思う」で切れていると読んだ。

つまり、「体験を語らずに逝く人たち」=「小川の白き藻の花」。小川の白き藻の花は、清流に見られる梅花藻の花か何か。被爆の体験を語らないまま亡くなった人たちを比喩的に表しているのだろう。

水の中に咲く白い花は、死者のイメージにつながる。「藻の花」は「喪の花」でもあるのかもしれない。

今年は戦後76年。戦後生まれの私たちが、戦争体験者や広島・長崎で被爆した人々から直接、その体験を聞くことのできる時間はそう長くは残されていない。そうであるならいっそう、体験したことを語ってほしい、聞かねばならない、ということにもなろうか。

だが、戦争体験や被爆の体験を聞くことの大切さを思う一方で、無理に語らせるようなことではないと思う。語りたくないという気持ちでいるのなら、それを尊重しなければならない。語り部となって語らねばと、それを自らの使命のように感じている人もいるだろうが、多くの人たちは体験を語らないまま亡くなっていったのではなかったか。その人たちが抱えていたもの、口にすることができずにいたことを深く思いみる。

流れのなかに揺れる白い藻の花が、そういう人たちの言葉にならなかった思いをささやきかけているように見えてくる。

 

被爆三世とさらりと告げる友人のサングラスの奥の眦やさし

それぞれの家に継がるる被爆記を裡に秘めおり長崎の人は

 

自分が語ることによって、相手にどんな思いをさせるか。語る相手を選ぶということもあるだろう。また、辛い体験であればあるほど、自分の言葉で語れるようになるまでには長い時間がかかることだろう。

そうして、もしも語り聞かせてもらえることがあったならば、それはその人との間に信頼関係が生まれ、この人になら痛みを共有してもらえると思ってもらえたということなのかもしれない。言葉はそこで確かに受け止められ、次へと伝えられてもゆくのだと思う。

 

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