魚村 晋太郎


劣情が音立つるほど冷えている。きさらぎ、デスクワークのさなか

生沼義朗『水は襤褸に』(2002年)

如月(きさらぎ)は陰暦二月の異称。現在の暦ではだいたい三月頃にあたる。
衣更着、と書くこともあり、この月はなお寒くて着物をさらに重ね着る意味から来ている、という説を紹介している歳時記も多い。
一方、それは間違いで、草木の更生する意の、生更ぎ、から来ているとする辞書もある。

劣情、は、性的な欲望、と理解してよいだろう。
人間の情欲は、熱いものとして捉えられることが多いが、冷えている、とそれを捉えたところに、一首の新しさと面白さがある。
寒さとデスクワークで硬直したような体の芯に、場違いな情欲が頭をもたげる感じを、しかも、なかなかうまく言い得ていると思う。音立つるほど、も唐突なようで、妙に納得できる。
実際、忙しかったり、疲れているときほど、しぶとい性欲を感じることがある。少なくとも、かつてはあった。

明るいオフィスのなかにいても、人間の存在はそれぞれ一個の闇である。
劣情、にはっきりとした対象が存在するのか、いるとしたら、その相手とはどんな関係なのか。仮に恋愛関係にあったといしても、例えば吉川宏志がかつて「風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ」と詠ったような強い欲情に、デスクワークのさなか、主人公はとらわれている。

ひたむきに相手を思う気持ちは美しい、けれど、遮二無二相手を欲しがる衝動にも、またべつの美しさがあり趣きがある、と思うのは、そういう時期をすでに過ぎつつあるものの勝手な感慨だろうか。
主人公は自身の欲望に、当惑し困惑しながらも、強い生命の衝動に感動する気持ちもきっとある。青春後期にさしかかった男の自嘲と自恃の綯い交ぜになった一首である。