高橋元子『帽子が不在』(現代短歌社、2021年)
昨日、今日、明日と、代わり映えのしない日々の暮らしを「輪唱のやうに」とうたう。歌集では
けふは昨日をあしたは今日をなぞるだらう輪唱のやうに夫と暮らす
とルビが振ってある。カノンと言えばわたしは、こどものころうたった「静かな湖畔の森の影から」をおもいだす(曲名、歌詞ともに複数あるよう)。波紋のようにひろがりながらかさなりあう声は、それだけでどこかたのしげにひびく。
夫とふたりの暮らしである。自身職を退き、子どもも家を出た。「サファイア婚」が近いという。なにがおこるわけでない、昨日のような今日であり、またそのままに、今日のような明日であろう。それを「輪唱」といってみると、そこにある明るさがやどる。変化がうまれる。
「けふは昨日を」のなめらかなうたい出しが、「あしたは今日を」をおのずから導くようで、リフレインということだが、輪唱のようでもある。昨日の余韻のこるなか、昨日をなぞりつつ、それがそのまま明日へ踏み込みながら、やがて今日をなぞって明日がはじまる。
輪唱というと、だんだんに声かさなりながら、さいごにはほそいほそい一本の声だけがのこっておわっていく。「だらう」というおもいかたが、そういう寂しい時間を予感させるようでかなしい。