茜さす素数に還りゆくのだと降りしきる雪の中で見送る

北神照美『ひかる水』短歌研究社,2018

 

海よりの風は冬であっても容赦がなく、そこに雪が吹き荒ぶなかで、母の棺を見送った。

霊柩車が長いことクラクションを鳴らし、その間、つまりは俯いて合掌をするべき場面で、ずっと細長い車のうしろがわを見ていた。

この「クオリア」でも最初のころに挙げた斎藤茂吉の歌、

 

赤光のなかに浮かびて棺ひとつ行き遙けかり野は涯ならん

 

を読んだとき、その光景を思い出したのでした。

今から母は地の果てへ行ってしまうのだ。今いるこの場所よりももっともっと、果ての涯へ。

ほんらい彼女は目をつむった瞬間から、遠いどこかへいってしまったはずだった。でも、それはわたしたちが居合わせることのできる遠さだったんだなあと気づきながら。

もう三回忌も過ぎたのに、雪が降ると、いまだにその景色が眼前によみがえります。

 

今回挙げたこの歌は、茂吉の歌よりもさらに実直に、その「涯」を言葉にしている。

ただし、茂吉のそれは「生」と地続きの、「死」と一方通行に繋がっているもののようですが、この歌の場合は、少し意味合いが異なるようです。

 

「茜さす」は「日」「昼」「光」「朝日」にかかる枕詞なので、「素数」がそれらの、ひかる何かを代替しているのだということを、迎えに行って読み取る必要がある。

歌の語り手が、作中の〈私〉の置かれている現実をそのままに、写生的に語り得てはいないということ。語り手にとって「そのように」視えるということを、語り手にとっての「現実」として描いていることだけが、わたしたちにはわかる。

 

この歌集は挽歌を多く含んでいます。そして前半では「赤」は生死を分ける射し色のように機能しており、後半では「赤子」という言葉とたびたび出会います。

確かに、生れたばかりのわたしたちは、何にも割り切れない存在としてこの世界にやってきて、血の、まさに茜さす「ひかる水」に塗れている。

この歌の語り手は「見送」りながら、そのことを思い出している。

このとき、「生」から「死」へと一方通行だった茂吉の「涯」が、円環的なものとして表現することも可能であることがわかるのです。

 

きっと日本中の無数の誰かが、これらと似た経験をし、歌の〈私〉に自分を重ね合わせることができるのだろうと思うと、救われるような、見捨てられたような、ふしぎな心持ちのする。

 

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