林和清『朱雀の聲』(砂子屋書房、2021年)
2020年4月のうた。あの頃からはや2年が経とうとしている。この状況にもなかば飽きつつ、すなわち嫌気さしつつあるのだが、「開いてる店」「閉ぢてゐる店」それぞれの事情をかかえてこの2年があったはずである。
開いてる店/閉ぢてゐる店/もう二度と/開かない店一度も/開かなかつた店
と切って読んだ。「もう二度と」「一度も」が強調されるようなかたちになっている。意味のうえでは、
開いてる店/閉ぢてゐる店/もう二度と開かない店/一度も開かなかつた店
のよっつから成る。開けないとやっていけない店、商機とばかりに開けている店、閉めたほうがもうかる店、余力をけずりけずって閉めている店。判断はさまざま。いつだったか、店のあかりのはやばやおちた酒場街に、煙こもり人ひしめく焼き鳥屋が一軒、恍惚のように開いていたところで飲んだ夜があった。
この2年のあいだ、「もう二度と開かない店」というのもしだいに増えてきた。一方では唐揚げ屋が増え、あるいは餃子屋が増え、見慣れた店のならびはずいぶん変わった。このうたは、リフレインのちからでもっておしすすめながら、ついに「一度も開かなかつた店」へ至ったところに立ち止まる。
開くはずだったのに開かなかった店がいくらもあるだろう。それは店に限らず、たくさんの〈はずだったのに〉が失われ、そしてその〈はず〉さえもあらかじめ摘み取られていくような、そういう月日であった。たくさんのくやしさ、やるせなさをおもう。