矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』(2003)
構成から判断すると、1991年、バグダッドでの情景のようだ。
テレビや新聞などの情報によって作られた戦争詠が多いなか、矢部はカメラマンという職業的な立場を利用して、ファーストハンドの歌を作った。
特殊な状況にある者が、確実に(もちろん技術的に基準を満たして)その状況を歌にすることは、とても価値があると思う。
映像や散文とちがう、韻文の視線を感じたいのだ。
ただし、状況が特殊であればあるほど、理解されにくいのも確か。
この歌では、過去のニュースや映画などでの既視感がを前提に、現実を積み上げている。
カメラマンとして、部外者として、手を出せない状況にありながら、対象にどう近づいているかが、この歌の勝負どころ。
イラクの言語(アラビア語のイラク方言?)で、「母」を何と言うのか明示がない。(もちろん、作者はそれを知っているのだ。)
ふつう、短歌であれば、ルビを振ったりして現地音を残した方が良いと思う。しかし、この歌ではそうしないことが、少々突き放した感じや入り込めない感じを出す効果を出している。
短歌が何をできるかを考えるとき、こういう種類の歌はヒントを与えてくれる。