宇都宮敦『ピクニック』(現代短歌社、2018年)
雨が降っている。それがそのうち強くなって、はっきり束になって降るのが見えている。「雨あし」は雨脚。視界はだんだん、とおくのほうから白くぼんやりとしていって、ガードレールが見えていたのがうっすら消えるように見えている。うつくしいなあ、とおもう。
一首はだいたいこういう場面だ。しかしこれでは、いかにも整理したあとの書き方になっている。もっと現場は、雑然としている。雨あしが強まるそのときはじめて、とつぜん雨を意識するのだし、まず「うつくしさ」を感じ取って、それから視線はガードレールを認識するのだ。
もういちど、うたを追ってみる。
うたは唐突に「やがて」と書かれ、雨あしの強まるその場面からはじまる。「やがて」以前は書かれていない。ふしぎと音は聞こえないが、雨あしが太く、あるいは密に視界を覆っていくのが見える。そしてたちまち白く、あいまいな雨の景色となる。
うつくしいなあ、とおもう。
なにかと見れば、「遠くけぶったガードレール」。はじめは視界に入っていても、見えてはいなかったのではないだろうか。雨あしの強くなった景色のなかに、まぎれるようにしてむしろ存在感を増したガードレールの白、その曲線、あるいは金属の質感。そのガードレールを中心とした、雨の風景。
〈見る〉こと〈おもう〉こと〈感じる〉ことの体感まばゆい一首である。