家近くなりて次第に不機嫌となりゆく吾の心あやしも

大島史洋『封印』(2006年)

 

 

軽妙な自画像。

勤め帰りなのだろう。仕事を終えて、家へ帰るというのに、自分はなんだか不機嫌である。その理由を特定せずに、「心あやしも」と、自分で自分がわかりかねる、としているところに、トボケた味がある。

それなりに思い当たる節はあるのだろう。
出がけの妻の一言がうっすら気になっているとか、子どもとこういうこともそろそろ話しあっておかなくてはとか、でも、どれも差し迫ったものではない。みんなどこかぼんやりとしたもの。意識の上にさえ、しかとのぼっていぬかもしれないもの。

家庭には家庭での義務、掟があり、そして職場には職場(といえども)の自由がある。
一方でまた、家庭は仕事を終えて安らぐところという刷り込み、あるいはそうあってほしいという願望が、拭いきれない。その齟齬が己で己の心をあやしく思わせる。

 

・代休の消化のために出社せぬ一日の鬱を嫌われている

・寝る前に煙草の火をと言う声の聞こえておれど知らぬ顔する

・揶揄されて気づくおのれの体臭の戦後民主主義はた脱脂粉乳

・仏頭の大小いくつを部屋に置き最も大なるは吾が顔と対峙す

 

団塊の世代あたりの、会社勤めの男性の、自分を見つめる目が、結構冷静で、またふてぶてしく、どこかカナシミに満ちていて、気がつけば「愛」を誘われていることに気づく。

 

最近は、自分の思い、苦しみをダイレクトにぶつけ、とにかく聞いてほしいという歌が多いが、こんな風にちょっと退いたように見せかけながら、人の心に接近する歌もある。

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