髪あげてやや美しと思ふときひとと別れむ心定まる

石川不二子『牧歌』(1976年)

別れを決断するときとは、こんなときなのだ。
「やや美しと思ふ」という表現がいい。はっきりと「美しい」と感じたわけではないのだ。なんとなく「美しい」と感じた瞬間。その茫洋としたひととき。

場面は、いろいろ考えられるが、鏡にうつった自分を見ていると読んだ。
自分の髪をざっとかきあげて、顔をのぞく。額やうなじもあらわになる。じっと見ていると、それは自分ではなく、見知らぬ他者のような錯覚におちいる。
このような仕草をするときは、だいたい何か考えごとをしているときだ。

だれかと、別れるか、このままつきあっていくか。それは大きな決断である。それまでの時間や存在を振りきって、新しい一歩をふみだすのには勇気がいる。
けれど、だれかに決めてもらうわけにはいかない。
過去の自分、現在の自分、未来の自分。それぞれが混沌とした迷いのなかで、眼のまえに立っている自分に問いかける。

別れの決断もまた愛の表現だ、なんていうと美しすぎるか。

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