魚村 晋太郎


春霞山は新たな教科書の匂いのように横たわるなり

小川佳世子『水が見ていた』(2007年)

霞、とは、霧、靄、煙霧などで遠景がぼやけて見える様をいい、特に春の季節のものを指す。
俳句でも、霞は春の、霧は秋の季語になっている。

山は日日その表情を変える。
季節によって木木の表情が変化するのはもちろんだが、同じ季節でもその日の天候や大気の状態によって、山の見え方はずいぶん変わってくる。
霞のかかった春の山は、ぼんやり青みがかった灰色に見えたのだろう。
その色合いを言わず、新たな教科書の匂いのように、と言って、視覚と嗅覚を結びつけたところが、一首の面白さで、面白いだけでなく、なるほどと納得させられてしまう。

新しい教科書の匂い、というのはふだんあまり思いだすことがないが、誰でも覚えているだろう。
いかにも新品の匂いなのだが、紙の匂いなのか顔料の匂いなのか、ちょっとくぐもったような独特の匂いがした。
ぼんやりかすんだ景色のなかに感じられる新しい季節の息吹や、花粉や春塵を含んだ空気の感じまで、教科書の匂い、という少し懐かしいアイテムによっていきいきと表されている。

視覚と嗅覚、のように五感のうちの複数を同時に働かせることを共感覚という。
たぶん特別なことではなくて、実際の生活の中で人は無意識に共感覚を働かせているのだろう。
共感覚を自在に働かせた一首からは、その景色を眺めている作者の、春をよろこぶ気持ちまでしみじみと伝わってくる。