コスモスを見てゐるのではなかつたと揺るるコスモス見ながら気づく

河野美砂子『無言歌』(2004年)

 

 

うすいピンクなのか白いものなのか、目の前にはコスモスの花がある。
だが、花を見ているわけではないという。
何事かを思っていたのだ。
それは、現実的な、たとえば、ああ、あれもしておかなくては、というようなこととは違う、知らぬ間に思いに沈んでいたというようなものであったろう。

 

ぼんやりと思うにしても、未来のことの感じがせず、過去のこと、それも何か心にかかることのような感じがするのは、低く抑えられ、翳りを感じさせるうたいぶりや、コスモスという花のもつ雰囲気によるものと思われる。

ここに立ちながら、〈わたし〉は花を見ているのではなかった、そう気づいたのは、揺れるコスモスの動きに促されたところがあったのかもしれない。
そのしなやかな動きに、ふと思いの淵からわれに返る。

 

とっている行動と、内面の、ある齟齬に目をとめ、表ではそのことをうたいつつ、奥にひそむ思いを、限定しないままに差し出している。

さて、どのような思いのなかにいたのであるか、そう思って、歌の前にたたずむ。

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