中津 昌子


一袋の苗を抱へて過ぐるときいつせいに木々の視線は降り来

大口玲子『海量』(1998年)

 

 

袋に入った苗を抱いて、木々の間を進む。
この歌のある一連から、苗を植えるのであろうと思われる。

下句の感受が独特だ。
木々に視線というものを感じて、それが一度に注がれるという。
木々たちは、どういうまなざしを送ってくるのか。

え、何、その赤ん坊をどうするの? という注視か。
それとも、植えてもらえることは木の方もわかっていて、大事に植えてやってよ、という、すでにあたたかさを含んだ感じなのか。
あるいは、もっと〈わたし〉という人物そのものへ向けられる視線なのか。

一首を読み終えたとき、その「視線」の性質が必ずしもあきらかでないままに、寄せられる木の強い関心だけが後をひく。

 

・ベルトより鋸鉈(のこなた)を下げてゐる我は間伐すべき木に選ばれむ
・降りてくる一葉すなはち一語にて森の苦しき匂ひを嗅げり

 

木の側の大きさに包まれるようにして、さて、どの木を選ぶべきかという、一つの力みを解こうとする一首目、次の「森の苦しき匂ひ」は、人の苦しさでもあるはず。

 

これらの歌の、木々との関係のさぐり方に、変な無理をすることなく、やわらかく深さへ向かう心を感じる。