覗(のぞ)いてゐると掌(て)はだんだんに大きくなり魔もののやうに顔襲(おそ)ひくる

前川佐美雄『植物祭』(1930)

 

 数ある佐美雄の不可思議短歌のひとつ。

  両手か片手か。

 私は、片手の方が怖い感じがする。両手であれば、三者になって焦点がぼやける。それに、手同士が牽制して攻撃を緩めてしまう気もする。

 片手であると、単独で暴走してくるイメージが強いのではないか。それも、利き手である方が親しみのある分だけ怖い。

 ある物に目の焦点を合わせていると、それが膨張してくるような不思議な錯覚にとらわれることはある。少なくとも理解はできるはずだ。

 それは自分の肉体の一部であっても起こるというのが怖いのだ。

 リズムを確認すると、77677である。この初句の抑えられない音感が、手の平が膨らんでくるイメージを呼び起こす。

 散文調であるところが、詩の世界だけの虚構でなく、日常生活に地つづきなのだというイメージも担保するようだ。口語調のストレートさのなせる業である。

 試しに、1分間くらい、利き手の手の平を見つめて見たらどうなるか。怖がりな方はおやめください。

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