大松 達知


ああなにかとぐろを巻けるかなしみが夜の故宮にしづんでゐたり

日高堯子『樹雨』(2003)

 旅行詠、とくに海外詠は難しいと言われる。

対象にたいする作者と読者の知識の差が大きすぎると作者のひとりよがりになりがちだ。

しかし、有名な観光地ならば日本の読者とも共通の理解基盤のようなものはある。細かい映像は要求せず、イメージだけの観光地の方がわかりやすいのかもしれない。

もちろん、ただの観光地詠でなく、普遍性を獲得する方向にゆかなければならない。

その点、馬場あき子は旅行詠の名手であるし、日高堯子も名手である。

この歌、「故宮」は一般名詞でありながら、北京の故宮を指すことは明らか。一首だけで独立しているのだ。

訪れたことがなくても、何度かはテレビの映像やパンフレットで見たことがあろう。映画「ラストエンペラー」もあった。

そのぼんやりとしたイメージさえあれば、あとは想像力の勝負。

異民族として中国を支配した王朝の居城、宦官による行政機構も、悲しみの源だろう。

城壁で囲まれた姿に、蛇がとぐろを巻く姿を重ねるのは難しくない。

単純でありながら、長い歴史の中の怨念のようなものがじんわりと滲み出てくるのをかんじないだろうか。