雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む

木下こう『体温と雨』砂子屋書房,2014年

一首が描く景は、ふた粒の錠剤を飲む様子だ。その錠剤は「あぢさゐ色」だという。よくある無機質な白い色の錠剤ではなく、おそらく紫色の錠剤。紫陽花と薬のイメージが結びつき、「あぢさゐ」、「錠剤」と韻律の上でも重なって響く。紫陽花はその品種によっては毒があり、品種によっては薬効があるとされる。

雨垂れを飲むことではなく、雨垂れの音を飲むことが、錠剤を飲むという日常動作に重ねられる。付された「音」の一語によって聴覚が介在し、一首の振れ幅は少しだけ大きくなる。
ぽたり、ぽたりという雨垂れの音。それを飲み込む。いつもなら聞くことなく通り過ぎてしまうような雨垂れの音を聞いている状態、ましてやその音を飲み込むという比喩からは、どことなく感覚が鋭敏になっている感じがする。

雨垂れの音を飲むという行為と錠剤を飲むという行為の間にはいくぶんか距離があるように思う。また、「音飲むように」という直喩表現から、「錠剤を飲む」まで二句が挟まれる。それでも、一首からは強い統一感を感じる。「雨垂れ」と「あぢさゐ」が縁語のように働いていて、一首の中にある距離を埋める。また、三句目の「ふたつぶの」は錠剤の個数を指すが、雨粒の数や、紫陽花の数も想起させ、一首に点在している要素を繋ぎ止める。

「雨垂れ」も「あぢさゐ」もいまこの瞬間の眼前には存在しない。あるのはふた粒の錠剤のみだ。しかし、初句二句の比喩と色調表現によって、一首の描く世界は広がりをみせる。

たまごからこぼれるやうに醒めにけり あなたが空と陸である夢/木下こう『体温と雨』
まづ水を飲むところからはじめるの 樹のやうにまつすぐに飲みたい
夏立ちて犬はしづかに老いゆけり千年昔のくひぜのやうに

ここにないものへの心寄せからはかすかな祈りが感じられる。主体と対照との距離はまちまちだ。それでも、ここにないものは得てして遠く感じられる。
たとえそれが、すぐに手が届きそうなものであったとしても。

たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい/木下こう『体温と雨』

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