雨に会うそのためだけに作られた傘を広げて君を待ってる

木下侑介『君が走っていったんだろう』書肆侃侃房,2021年

雨傘が製造された目的は、橋の欄干を叩くためでもないし、ゴルフの素振りをするためでも、緊急用護身具でもない。あくまでも雨を防ぐためだ。「作られた」という動詞が配されていて、その理由の強固さは動かない。
これが、〈存在する〉だとしたら、存在する理由として前述の用途もあり得るだろう。やんちゃな小学生からすれば、傘はチャンバラ遊びをするために存在しているのかもしれない。
「作られた」という語の斡旋によって、傘に逃げ場はなくなる。「そのためだけに」というやや過剰な表現が配されていて、多義性を力強く排している。それでも強硬な印象は薄い。

それは、〈雨を防ぐ〉ではなく、〈雨に触れる〉でもなく、「雨に会う」という表現が選ばれているからだろう。さしている人が濡れないように雨を防ぐことは、雨に触れることだ。ただ、「雨に会う」はもう少し遊びの部分というか、雨に触れないパターンもあり得るような含みがある。
例えば、室内にいる人が降り出した雨を眺めながら、傘を持っていることで安心しているような状況であれば、傘は雨に触れてはいないが、その作られた目的は達しているだろう。建物から出る時に雨が止んでいたとしても、雨に会った傘は役割を果たしている。

長い上句は傘に収斂する。そして、下句ではそんな傘を広げた主体が君を待っている構図が提示される。
「会うために」という傘を擬人化した表現は下句に響く。当然、主体が君を待つ構図と、傘が雨を待つ構図は重なり、〈君に会うそのためだけに生まれた私〉のようなイメージが付与される。若々しく、自意識が強い印象だ。
ただ、上句のイメージに強く乗っかっていくので、〈君と結ばれるために〉というような印象は少し薄れる。こってりとした人間と人間の関係というよりも、少しだけ抽象的な関係が想起されるような気がするのだ。
この場合の「君」がある特定の人かはわからない。どちらかと言えば、〈ある特定の君が世界に存在してほしい〉という祈りに近いのかも知れない。

主体は君を希求しているだろう。ただ、その希求の芯にある部分は、どろどろとした欲求というよりも、もう少し純真なものに感じられる。たとえそれが欲望に無自覚なだけだとしてもだ。
傘が雨を防いだり、持っているだけで人に安心感を与えたりするように、「君」にとって〈私〉はそのような存在でありたい。そんな思いが一首に滲む。

目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った/木下侑介『君が走っていったんだろう』

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