花束をかかえた君は手を振れずさよならにただうなずいていた

木下龍也『あなたのための短歌集』ナナロク社,2021年

花束を渡されて、それを抱えている「君」がいる。渡したひとが言っているのかどうかはわからないけど、そんな「君」にさよならと声を掛けて手を振るひとがいる。「君」は花束で手がふさがっているので、手を振ることができない。手が振れない状況なので、花束が大きい、あるいは複数の花束を持っている。そんな情景が思い浮かぶ。
一首の描いているであろう景は再現性が高くて、クリアに像を結ぶ。前後の文脈は不確定だけど、何となくこういう瞬間はあるような気がする。卒業する生徒が先生である「君」に花束をくれたとか、転勤していくあるいは退職していく「君」に職場の人から花束を贈られたとか、なんらかのおめでたい会の帰路とか、いくつかの場面が想像される。

花束で手がふさがっている人は、「ただうなずいていた」。手が振れなくても声で応えることはできそうだが、そうではない。感極まっているのか、ぐっと何かを噛み締めているのか。いずれにせよ、「さよなら」に対して〈うなずく〉という反応は少しだけ応答にズレがあるような気がして、そこが一首の錘のようになっている。「いた」という結語が回想であることを示していて、一首の場面が主体にとって印象的なものであったことを示唆している。

『あなたのための短歌集』は、木下龍也が依頼者から題をもらい、それをもとに詠んだ短歌を便箋に書き、封書にして届ける活動がもととなっているという。その活動で依頼者に送った短歌を再度提供してもらい、本書は出版された。本書には依頼者から得たお題も掲載されている。(なお、お題は依頼者の了解のもと一部修正された旨が巻末に付記してある)

掲出歌は、「自分の名前でもある「花」で短歌をお願いします。」というお題のもと作成されたという。
お題を読み、一首を読み直すと、「花束」には依頼者の名前というニュアンスが加わる。素敵な名前を受け取った生まれる前の「君」は、まだ手を振ることはできず、これから「花」の名を持ち生まれていく。そんな「君」へかけられるさよならの声に、これから生まれゆく「君」は、ただ頷いている…そんな超現実的な場面が想起されもする。

一首が描く場面は、人生で経験し得る一場面としてリアリティがあるのだけれど、同時に、作者がお題をやさしく昇華した痕跡を感じる。

掲出歌を読んだとき、木下さんの第一歌集に収録された一首を思い出した。花束を抱えて歩む「君」にやさしい世界が待っていますように、そんなことを思う。

花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間/木下龍也『つむじ風ここにあります』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です