三井修『薔薇図鑑』(2010)
「祈り」とは何であろうか。
広辞苑には、
①神や仏の名を呼び、幸いを請い願う。祈願する。②心から望む。希望する。念ずる。
とある。が、少し違うような気もする。
ここで作者が「祈る」と言ったのは、なんらかの目的があったり、具体的なイメージがあったりする「祈り」ではないだろう。
ただ、心を落ち着かせてみづからを浄化させる静かな瞬間。何かを求めるのではなく、求めることを止める瞬間。
人間には、ときどき(あるいは毎日)そういう瞬間が必要なのだ。
このとき、作者の内部の何かが「祈り」を求めたのだ。
神社仏閣へ行ったり、ミサに参加したりしなくても、ひっそりと自分でそういう時間が持てればいいのかもしれない。
「せめて」と言っているけれど、「祈り」の中のもっとも必要な要素は、土鈴を振るような行為で体現されるのではないだろか。
三井修さんの歌集名は「薔薇図鑑」ではなく、「薔薇図譜」だと思います。たまたま、買おうとしていました。
「祈り」とは、「心を落ち着かせ、みづからを浄化させる静かな瞬間。何かを求めるのではなく、求めることを止める瞬間。」なるほどな、と思い読みました。自分のためでも、人のためでもなく、純粋にただ「祈る」。 忙しく煩雑な日常のなかで、そういう瞬間をもつことは、なかなか難しい。
彼は土鈴を振ったのだろうか。たぶん、紐をもちあげて、振ってみたことだろう。土鈴のたてるカラコロと乾いた音に、ひとり静かに耳を傾けて。