いつも君は犬に好かれき見知らざる犬さへ千切れんばかり尾振りき

尾崎左永子『椿くれなゐ』(2010年)

 

 

挽歌である。
どんな人であったのだろう。
犬が、この人はいい、と寄っていく人。
知らない犬でさえ、「千切れんばかり」に尾を振るという人。

底まで警戒の必要のない、全身を預けきれると動物が直感するというのは、人が万のことばを並べるより、その人柄を保証する気がする。

 

初句六音が上二句に勢いをつけて躍動感を与え、また二回の「き」が全体のリズムをとっている。犬の気持ちを、その光景を見ていた時の〈わたし〉の気持ちを伝えてくる。

 

・うちよする波のつづきと思ふまで青葉の山に風吹きのぼる
・ふいに君を悼む涙のつきあげて葉桜の鋪道にわが立ちどまる

 

一連を読むと、「君」を失った悲しみはまだ生々しくありながら、「波」と「青葉」と「風」が一体として感じられようとするところには、生死を超えたなにものかが感得されつつあるらしいと感じるのだ。

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