なんの花か知らずにあなたが買ってきた火花をときどき散らすその花

堀静香『みじかい曲』
(左右社、2024)

〈どんより〉にも種類があるが、『みじかい曲』の特に序盤の方で目についた二物衝突やそれに近いタイプの歌の〈どんより〉した感じは、短歌では初めて見たと思う。

風化したアポロチョコが西瓜のにおい 人と話がしたかっただけ
嫌いなひとを嫌いなだけの一日に切ったばかりの髪を乾かす
あなたのほうがなんでも器用にやれること 明日あさっての牛乳を買う

食べかけのアポロをコートのポケットやかばんに入れ忘れ、発見されたときはカビが生えるでもなくかさかさに乾いて崩れそうになっている。それをまるで嫌悪なく「西瓜のにおい」だと言う。あるいは「嫌いなひと」の存在、自分がどうしても「あなた」より劣って感じらてしまうこと、そういった小さくグロテスクな事象や感情が、後半では髪を乾かすとか牛乳を買うといったより日常的な場面に接続される。なんでもないはずの会話に不安の断片を忍ばせて相手の反応をうかがうような、まるで聡い子供と話すとき不意に訪れるようなどんよりとした緊迫感がこれらの歌にはある。

バスタオル片寄ってはためいている物干し竿のまっすぐな線
いつまでが新婚だろう 好きだった東京メトロの生ぬるい風

なんの花か知らずにあなたが買ってきた火花をときどき散らすその花
アパートが揺れる ケーキ入刀の軽やかさで崩される校舎は

しかし、読みはじめてほどなく明らかにされるのは、この歌集の主人公には結婚生活(のちには出産・子育ても)という設定が与えられていることである。今日の一首にいう、なんの花かわからない「その花」に、私ははじめカエンカズラのようなものを想像した。実景としてはそれでかまわないだろうが、「その花」には、あなたが結婚した相手(=わたし)という含意が読みとれる。つまり、あなたの結婚した妻は自分でも自分がよくわからない花なのです、と。その花の散らす火花とは、生活の喜怒哀楽よりも、風化したアポロ、嫌いなひと、あなたへの劣等感、メトロの駅の生ぬるい風——そういう子供時代や独身時代のなごりともいうべき偏愛やささやかな嫌悪。それらを結婚生活という「まっすぐな線」の上に持ち込むと、火花のような激しい反応を起こしかねないと、主人公は思っている。

しかしこれは、結婚生活になじめないことへの恐れというより、結婚という制度、ひいては妻とか母という属性に〈わたし〉が取り込まれないための、機械の中でモーターをわざと逆回転させるような、ひそかな、しかしあんがい積極的な抵抗であったと思う。私はこの50年くらいの現代短歌の歩みを、歌人らが、各々の抱える属性から〈わたし〉をおそるおそる独立させようとする試みの過程であったと考えている。そういう歴史の一ページとして『みじかい曲』という、このどんよりした解放者の登場も位置付けることができるであろう。

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