『梟』来嶋靖生
二〇〇七年七月、作者はスイスアルプスの登山の旅をする。この歌の後にはベルニナアルプスの歌がつづいているので、これはその雪渓を登っていった時の一首であろう。調べてみると、ベルニナアルプスには三〇〇〇メートル級の険しい山群がつづくとある。作者はそのうちのどの山を登ったのかはわからない。だが、「天に間近く」という言葉に端的にあらわれているように、雪を踏みながらようよう頂に立った高揚感が鮮明に読者に伝わってくる。さらに、「師も父も母も知らざるこの雪」とあることも、頂の雪をいままさに踏んでいる熱い興奮を直接に伝えてくる。「師」というのは、歌の師であり、同じく登山を愛した窪田空穂のことであろう。おそらくこの時の来嶋の胸には、空穂の一首である「槍ヶ岳そのいただきの岩にすがり天の真中に立ちたり我は」が、蘇っていたことであろう。二〇〇九年刊。