魚村 晋太郎


右半盲の母の視界の外に立ちミモザの花はあふれて咲けり

曽我玲子『薬室の窓』(2008年)

ミモザとは本来は含羞草(オジギソウ)のことをさしたが、現在では同じマメ科の高木のフサアカシアやギンヨウアカシアをさして言うことが多い。2月から3月にかけて、ポンポンのような黄色い花をつける。
うらごししたゆで卵をかけたサラダをミモザ・サラダといったり、シャンパンとオレンジジュースでつくるカクテルをミモザといいたりするのは、この花の色に由来する。
ギンヨウアカシアは、葉が銀白色がかったくもった感じの色をしていて、花の黄の鮮やかさを余計に引きたてる。

ケアハウスで暮らす母を訪ねたときの一首。ミモザが咲いているのも、ケアハウスの庭だろうか。
母は半ば視力を失っていて、満開のミモザも母にはたぶん見えていない。
このきれいなミモザの花を母にも見せてあげたい、という歌では、おそらくはない。

短歌に詠われる植物、とくにその花は、主人公たちにとってなんらかの慰めになっていることが多い。が、この一首のミモザは、老いによってへだてられてゆくような母との間柄を容赦なく際立たせている。
いかにも西洋風のふさふさしたあかるい黄の花は、主人公の気持ちにもそぐわないのにちがいない。

歌集には、医師である夫の仕事を支えながら、夫の父母と自分の母の病いや老いに直面する作者の姿がある。
忙しくて、落ち着いた気持ちで会えないこともあるだろう。
どういうふうに老いてゆくか、を自分で選ぶことは難しい。作者がみつめているのは自分自身の姿でもある。