『流離伝』成瀬有
八月(あるいは七月)の十三日から十六日にかけ行われる盂蘭盆会。これは十三日の夜門口に苧殻を焚いて先祖の霊を迎え、供養をした後、十六日に送るという行事だが、この日には家族が揃うという習慣が日本には根づいている。この一首では迎え火を焚いて、その「ほのほ」が「澄みとほり」とあるので、火それ自体が清らかに見えているのだろう。この「ほのほ」の情景は、しかし下句では「さびしきもの」が「火の中に燃ゆ」という抽象的な表現に変わる。「さびしきもの」とは何か。それは、ただひたすら魂そのものと化した存在への思いであり、またそれを「火」によって「迎へ」ていることへの思いであろう。「今年」という限定にも思いの格別さが見える。死者と生者では、いうまでもなく生者の方が寂しい。作者はその寂しさを燃える火の中に見つめているのである。盆という行事は、ときに慣習を超えて、死者が生きている者に何かしらの啓示を与えるもののようだ。
二〇〇二年刊行。