井戸のあり腕を伸ばせば水底に冷やしおきたる我のふるさと

齋藤芳生『桃花水を待つ』(2010)

 

 福島県出身で、UAEのアブダビに日本語教師として暮らしていた作者。

 砂の歌と同時に、水の歌がいい。

 アブダビに井戸はあるのだろうか。いや、歌には「ある」と書いてあるから、あるのだ。

 そこからが卓抜な比喩。

 腕を伸ばすと、井戸の水底に自分の故郷が冷やしてある、と言う。

 アブダビでは、もっとも寒い1月が最高24℃最低12℃、もっとも暑い8月が最高42℃最低29℃、くらいであるらしい。降水量は、2月を最高に年間90ミリ以下のようだ。(ちなみに東京は年間1500ミリ弱。)

 炎暑に耐えつつ、心のどこかに故郷・福島の水の冷たさを思い描いているのだ。

 「異文化」と軽々しく言うけれど、想像もできない地域。そこに単身で乗り込んでいった作者がいかに故郷を心の拠り所としていたかはわかる気がする。そして、その故郷を端的に言い表す言葉を探したとき、この歌になったこともわかる。

 他に挙げるなら、

・水煙草の煙わずかな風を得て月のひかりを追いかけたがる

・簡潔な水の変化よ朝方の窓を開ければ眼鏡が曇る

などが、この系統に近いだろう。現実の隙間にある現実をよく見ている作者だ。

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