『火ダルマ』高瀬一誌
あけびの実は、秋に薄紫色に熟して縦に割れ、白く半透明のほのかに甘い果肉をのぞかせる。あけびは「開け実」の意味ということだが、口を開けたその形が笑い顔に見えるとはよくいわれることだ。この歌でも、「大いなるあけび」を眺めつつ、その笑うような姿から、「こうしてにんげんわらっていくのだな」と、人の生き様へと思惟をすべらせていく。字足らずの文体や、結句の「だな」という口調は、この作者独特のもの。字足らずとともにしだいに定型を壊していくのだが、その文体自体が反骨とダンディズムの詩精神そのものなのだろう。といっても歌は堅苦しいものではなく、日常の猥雑さも大いに楽しませてくれる。たとえば灰となった自身の姿を想像して、「掃きよせられているらしい死後の世界は軽くて楽だ」と詠む。落葉掃きの情景のようにさりげなく、磊落に、死後の自分の身体感を体験しているようだ。作者の晩年は永く苦しい闘病生活であったと聞く。自身の死を見据えての歌が歌集にはあふれている。二〇〇二年刊行の遺歌集。