もう一生かなわない夢甘くされ瓶入りのマーマレードジャム

『夢のほとり鳥』九螺ささら

考えの限界というのはどのあたりにあるのだろうか。さておき(と書けば何か決定的に失われてしまうものはありそうだが)通常考えないようにしていること――深く考えてしまうと生活に著しい支障が出るから――ならばいくつもあるのではないか。

「ルシオラはゲンジボタルの学名」と遺言のごとく先生は言う
「ほとんどは個人にとっては無駄ですよ?でも宇宙には必須過去になる」
ひとすじに飛び込み台から落ちてゆく人の形をした午後の時間

そう、決定論や運命論といったものにそうと知らなくともある日ふと思い至ってからは、それについて考えることは怖くはなかったか。周囲や祖先でなく私だけに備わった自我や自由はあるのかとか、何をやっても「無駄」なのかとか、何をしようにもすべてがより大きな存在の支配下にあると思えて言葉を失うことしばしばの幼年期……
「遺言」そのものではなく「のごとく」と直喩をはさむことでこの発言はあくまで遺言ではないのだ、と付け足しがなされ、しかし「遺言」自体の存在は否定されない。死は万物に必須である。いっそ直喩の分だけ切なさは強化されている。「個人にとっては無駄」であることも、別の時空では「必須」とされればいくらかの優しい慰め。右往左往する絶望の身体が、韻律の空間に麗しく佇んでいる。

ムニエルにするための鰈片側に二つある目と目の合う霜月

「片側に二つある目」の部分が韻律もあいまって大きなカーブを描く。「ムニエルにするため」とともに説明調をなし、何を説明するかといえば調理して食事する本人と、鰈の命が交錯する場面を丁寧に書いているのである。「必須過去」のごく一部がこうしたディテールの場面に何度も何度もはみ出してくる。

冒頭の一首は「もう一生かなわない夢」について説明している。かなわない夢がないとは信じたいが信じがたい。始まりの「もう」の一語が迷いなく投げ込まれてたまらなく重い。柑橘のほろ苦い皮は外から投入された砂糖によって煮込まれ甘くされ、わけもわからず瓶詰にされる。やがて冷えてゆく瓶はけれど天から注ぐ日の光を受けていつまでも光り続ける。

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