『triste』川﨑あんな
衣替えをイメージさせる連作中の一首で、ほかにはこうした作品が載っている。
酢酸絹糸繊維なると白いワンピース先駆けてはるをあがなへる は
櫃、其のなかを薔薇いろのもののあらざるは元より の
ゆいもつ処理班のやう衣料棚あけてさがせるの先づは奥のはう
(「酢酸絹糸繊維」)
新しい服を買うことで、その年の季節と日々を手に入れたような感覚がある。暖かくなったから服を買うというよりも、袖を通せば外界が暖かくなるような、そう願ったことが本当にかなってしまうような、いつもままならぬ世界をほんの少しだけ操作してしまうちょっと後ろめたい喜び。ワードローブはいつでも頭の中にあって、ごたごたした物入れのパズルを解きさえすれば、その通りに取りだし可能である。何度でも新鮮な宝探しの経験ができそうだ。どんな普段着も晴れ着も装束も、服を着ることが何かの実現とか、達成につながるのは、それが着るまでは単なる布きれにすぎないからかもしれない。肉身とのなんらかのかかわりを経て、服ははじめて服となる。服を服にするのは自分自身だというゆるぎない直観がある。
服は布きれである間、「ふあん」に満ちている。私も、服もともに不安である。漢字に変換されるまえのおぼつかなさが、布地のくたっとした手触りを想像させ、「未知」の畳みかけでその場はしんとした薄闇に包まれる。が、「手にするまで」と始まっているために、まもなくこの場に〈手にする〉という契機が訪れることもすでにわかっていた。この闇は薄明かりをそっと包んだ薄闇であり、やがて明るむ部屋の中で、うっとりと服を眺めることができるという期待がしずかな響きで鳴っている。
ところで気づくとあちこち梅が咲いていた。まだ咲いていない木もぞくぞくと開き始めるだろうという予感に満ちている。どこまで梅が満ちていくのだろう、春は膨らんでゆくのだろうという期待と不安が同時に天からまぶしく降りそそいでいる。手に取るまでサイズが確認できない服のように春はある。一着を手にした瞬間から、この一首の中で春と服が同時に膨らみだして止まらない。どんどん膨張する空間に引きずられて、肉身の領域がどんどん広がっていく。私の体は地となり、水となり、襟ぐりに通した頭がそのままたなびく雲を貫いて、視線はまだ薄い色の青空と同じ高さになる、太陽を冬よりもずっと近くに感じながら、春といえば三月であるなと、妙に強く納得する。
