花山多佳子『春疾風』
親子の会話である。「オレ浅い人間か」は目の前にちらちらと差し出された導火線なのだが、この導火線は水で湿気させてほしいがためのものである。「オレ浅い人間か」「いやいやそんなことはないよ」という様式美によって導火線は水分を含み、おおもとにあるダイナマイトは宥められる、そういう展開を見越して発せられた「オレ浅い人間か」であったのに、「浅いよ」である。秒速で導火線に着火している。「あ、あ、あ、だめだ、だめだ」と思うまでもなくダイナマイトはダイナマイトでためらう間なく秒速で爆発している。むしろこの流れのほうが様式美であるかのように爆発まで一直線である。この歌にあるそれぞれの発話は「」で括られておらず読点もなく、破調であることによって各句の終わりに差し挟まれるべき休符もない。実際のやりとりの現場ではおそらくもう少し間合いというか、相手の発話を受けてから感情が湧き起こりそれを言葉にするまでのタイムラグがあるはずなので、そこには当然沈黙の時間が発生するわけなのだが、一首には「」や読点や各句の終わりの休符といった沈黙類似のものがきれいに消失している。いわば早送りされた時間のなかものすごい速度をもって爆発まで到達している。だからこちらとしてはきれいな打ち上げ花火を見ているような気持ちになって、気づけば笑みさえ浮かべてしまう。
この歌の内容が面白いのはもちろんだが、それだけであれば家庭の諍いに笑みを浮かべてはいけないという理性がきっと勝つ。この歌のすごいところはそうした理性の発動よりもはやく出来事を終着させる手際なのだと思う。そしてもうひとつ。子には表情がある。「オレ浅い人間か」と聞くときの少しおずおずとした表情、「テメエだつて浅い」と切れたときの怒りの表情。一方で親は終始一貫して鋼のような質感を崩さない。旧かなづかいが露出するのは「テメエだつて浅い」の「つ」だけであるけれど、この「つ」一文字の整いによってなにか爆発の威力が親にはまったく響いていかない感じが如実である。「テメエだつて浅い」という渾身の怒りが、浮く。親と子の諍いが鋼と子の諍いのようにも感じられて、ここまでくると無力ながら若干子の肩を持ちたくなったりもするのである。
何故オレはこんなに腐つているんだらう口先だけで息子がほざく
