睦月都『Dance with the invisibles』
連作タイトルが「Swan boat」なので、この白鳥がほんものの白鳥ではなく白鳥のかたちに作られたボートだということはあらかじめわかっている。が、一首だけで読んでも「スワンボート」という名詞を用いることなく、下句に至ってこれはスワンボートだと気づかれるようにできている。池のほとりのボート乗り場には二十艇くらいの白鳥型ボートがあったのだろうか、それぞれが番号を与えられて乗り場に結わい付けられている。場面としてはこれから乗り込むところで、乗るべき白鳥の個体はすでに決まっているというタイミングである。あなたとボートに乗っている最中の描写ではなく、あなたの表情も描かれず、ただただ白鳥の胸の番号と割り振られた白鳥が「6」だったことだけがこの歌に残されている。連作「Swan boat」のなかの、掲出歌の次の歌は
子どもの手を離れた風船のやうに秋の日ふたり漂ふばかり
で、この歌には輪郭という輪郭がない。ボートに乗っているようにもボートを降りたあとで公園の散策をしているようにも、もっとおおらかにその日一日のあなたとのあれこれを思っているようにも読めて、歌の内実にふさわしくふわふわとしている。今にも溶け出しそうな歌である。この一日でほんとうに大切なのはあなたと一緒に過ごしたことだけれど、追憶というものは思いがけない溶けかたをして、溶け残りかたをするものだと思う。そして、それはほとんどの場合、出来事から長い時間を経た後になって気づく。そうだけれども、掲出歌の、また「Swan boat」の一場面の面白いところはあきらかに「「6」の白鳥」だけが記憶のなかに溶け残されようとしていることだろう。あなたとの散策もあなたとのやりとりも時間のなかに溶けだしてゆくなかにあって「「6」の白鳥」はぴんとしたままに残っている。そうなっていく気配が一首の輪郭の濃さとなってあらかじめ示されているように感じるのである。大事なものは消えていき大事なものがあったことの手がかりだけが残される。その予感が掲出歌にはたっぷり沁み込んでいる。初読時から印象的な一首で、同時に地の歌っぽさもありなぜそこまで気になるのか長いことうまく掴めていなかったのだけれど、記憶への予感こそこの歌の魅力の見えざる源泉なのではないか、と今はそう思っている。
さくらはなびら風にロンデを描きながらやがて記憶のやうに消えたり
