細溝洋子『コントラバス』(2008)
作者は「心の花」の歌人だから、どこかでいつも佐佐木幸綱氏を意識しているのだろう。
幸綱さんは「俺」の似合う歌人である。いや、歌人というより「存在」かもしれない。
言葉によって規定されてしまう自分。
これを考え始めると、外国語の場合はどうなるのかとか、言葉が国民性を決めるのか、とかその逆なのか、とかややこしくわからなくなる。
そこまで考えなくてもいい。
この作者には、自分でも「奔流」(激しい勢いのある流れ(広辞苑))があるとわかっている。しかし、女性としての一人称(ワタシ、アタシであろうか)で話し始めると、どうしてもそのあとの語彙に勢いがつかないようだと言うのだ。
「オレ思うんだけど」と言いたいところを「ワタシ思うのだけど」と言えば、勢いに違いがあるのはわかる気がする。
だからと言って、女性語の方に勢いがないか言えば、そうではないらしいことも(男性は)気付いているのだけど。