大松 達知


山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち処(ド)かも

釈迢空『海やまのあひだ』(1925)

 

 横書きで短歌を読み書きすることに慣れても、迢空の歌だけは、横書きになじまない気がする。

 句読点や字空けの使用も理由だろうが、やはり、底流する情念のようなものがそう思わせるのではないか。

 

 大正9年(1920年) 夏の信州旅行の所産だという。

 山の深いところの夜明け前の闇の中。最も暗い時間帯である。

 そんな時間帯になぜマッチを擦るのかわからないのだが、とにかく一瞬だけ、自分が立っている足元だけが見えた、という意味だろう。

 深夜の無音の空間の中でマッチを擦る音と火がつく音がかすかに聞こえる。同時に、マッチが燃える短い時間だけ、視界が確保される。

 とはいってもそれは自分の足元のおそらく1メートルにも満たないほどの領域。

 無から世界が生まれて、ふたたび無に帰ってゆくような、静かな、そして劇的な世界の変化をとらえている。

 

 長谷川政春氏の校注によると、初出は、

・山深きあかとき方の風のおと 梢は鳴れど 静かなりけり

であるという。(『和歌文学大系』)

 大きな推敲の跡がみられる。想像上の景なのだろうか。