大松 達知


ねむれ千年、ねむりさめたら一椀の粥たべてまたねむれ千年

高野公彦『水行』(1991)

 

 ああ、短歌というのはなんて大きな時間を表現できるのかと、つねに感動する一首。

 

 初句七音の「ねむれ千年」のはみ出したリズムの中には「センネン」という漢語音の切れの良さがある。対象をやや突き放し気味に、しかし優しくきっぱりと言葉をかけている感覚。

 それは、超時空的な存在からの、宗教色を帯びての、命令である。母性を帯びているようにも聞こえる。

 

 その初句を受けて「ねむりさめたら一椀の粥たべてまた」と、長い夢の中をうねるような句またがりのリズムでつなぐ。千年間の眠りを体現したような音感である。

 もちろん、「粥」であることが効いている。おそらくもはや日常的とは言い難いであろう「粥」というもの。(誤解を恐れて言えば、うどんや卵かけごはんやひじきや肉じゃがに比べて、非日常的ということである。)

 白のイメージ、柔らかさのイメージは、他に代えられない食べ物、そして詩語である。

 

 結句で、「ねむれ千年」を繰り返す。

 童謡のような素朴さと穏やかさを漂わせながら、センネンという切れ味のある言葉で締める。言葉の意味と音のバランスが最高なのである。

 読者は、大きな存在に包まれて、すべてをゆだねたくなるに違いない。

 筆者は、辛いとき苦しいとき、この歌を思い出し、呪文として唱える。身と心が軽くなり、癒されるだけでなく、前に進もうという勇気を与えられるのである。

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 これで私の回は最終回。155回の連載を(内容はともかく)無事に続けることができました。読者の皆様のおかげです。

 ありがとうございました。

 乾杯!!!