黒瀬 珂瀾


腐食のことも慈雨に数へてあけぼのの寺院かほれる春の弱酸

山尾悠子『角砂糖の日』

腐食を招く雨とは、酸性雨のことだろう。歴史ある建築物や野外の銅像などを腐食させる酸性雨は、現代工業社会の副産物であり、社会問題でもある。でも、その酸性雨も雨であるならば、恵みの雨=「慈雨」のひとつに数えよう。雨はなりたくて酸性雨になったわけじゃないのだから。

酸性雨に寺院がだんだんと腐食されてゆく。「腐食」という初句から、僕などはなんとなく、腐食銅版画・エッチングのような景色を思い浮かべる。なるほど、あけぼのに照らされた荘厳な寺院(やはりここは、ゴシック建築のキリスト教聖堂だろう)に、春の弱酸による腐食の香るイメージは実に世紀末的で、精緻で幻想的なエッチング版画の描写を思わせる。どこかかすかに漂う、病的な雰囲気も。

 

作者の山尾悠子は幻想小説家として知られる。《腸詰め宇宙》と表現される、円柱形をした世界とそのカタストロフを描いた小説「遠近法」などが代表作だろうか。その精緻かつ華麗な文体は、数式のようでもあり、幻想派絵画のようでもある。寡作さでも知られる山尾だが、一冊だけ歌集を出していることは、ファンでもあまり知らないだろう。

掲出歌も、荘厳なる存在が、少しずつ滅びゆくことへの喜びがこめられているようだ。滅ぶからこその美しさ。それが「言葉」により紡がれ、現実の臭気をまとわないからこそ、滅びはいっそう美しくなる。本来散文作家である山尾が短歌に惹かれた理由が分かる。消えゆくものへの賛歌もまた、「短歌」のもつ大いなる側面だろう。

 懲罰の部屋にありては支那ふうに脚を歪(ゆが)めて坐るべきこと