外(と)にも出よ触るるばかりに母のゐて教へたまひしやしやぶしひかる

上村典子『手火』(2008年)

『手火(たひ=手に持つ松明のこと)』は著者の第4歌集。母を亡くして以降の時間、とりわけ父と過ごす時間を丁寧に詠いとる。掲出歌の初句、二句には、聞き覚えのある人も多いだろう。 

    外にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女

に拠る。汀女の句は、触れられそうなほどに大きく、潤むような美しい月を詠む。上村典子の歌は「春の月」とはいわず「母」が出てくるが、ここは「春の月」を背景に思い浮かべて読みたい。「触れられそうな」ということは、実際には触れられないのだ。ここにはいない母、つまり亡くなった母をありありと感じる春の月の夜、と読める。喪失感が伝わってくるが、「外にも出よ」という華やいだ呼びかけのためか、かなしみに沈んでいるようにはみえない。かなしみと、母の面影を受けとめる柔らかい心持ちとが両立している心の深い在りようが読みとれる。初句、二句で依拠した汀女の句が、作者の心を引っ張り上げたのかもしれない。愛唱性のある定型の言葉は、こんなふうに心をなぐさめることがある。

さて、「やしやぶし」とは「ヤシャブシ」のこと。漢字では「夜叉五倍子」と書くそうだ。落葉高木で、2月から3月ごろに花が開き、尾のような形で長く垂れる。色は黄緑。現代では、花の時期に花粉症の原因にもなる。秋になると熟し、褐色のまつかさに似た形の実になる。花も実も特徴があるが、この歌は「春の月」の場面と考えられるから、ヤシャブシの花を見ているのだろう。ヤシャブシに遇い、母が教えてくれた木だと気づく。「ひかる」とはいっても、木の花の色だから、冴えた様子ではない。月光の下でやわらかくけぶるように見えるだろう。

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