黒瀬 珂瀾


口にしないすべてのことを受けとめるようにシチューが並ぶ食卓

ひぐらしひなつ『きりんのうた。』

 

人が食卓に集うのは、ものを口に運ぶためだけではない。ともに語らい、心を通わせるためにも、人は食卓に集う。家族で、友人や仕事仲間で、そして恋人同士で。掲出歌の場合はどうだろう、ここは若い恋人か新婚夫婦と読むのがいいだろうか。

「口にしないすべてのこと」は、口にしたこと以外のすべてだ。人間の感情のうち、口に出来ることは意外と少ないんじゃないか。以心伝心の場面もあるけど、たぶん、伝えてしまっては人間関係が台無しになる感情を、ぐっと飲み込む方が多いだろう。その言葉は本当は、食卓の向こうの「あなた」に受け止めてほしかった。でも、その言葉を受け止めてくれそうなのは、食卓の上のシチューだけ。このシチューになら、様々な具と一緒に「わたし」の言葉も浮かべられそうだ。

 

この食卓に並ぶのは、シチューでなくてはならない。様々な具が柔らかく煮込まれ、でも原型をそれなりに保つシチューだからこそ、「わたしの言葉」を混ぜこみたくなる皿にふさわしい。スープなどでは「わたしの言葉」も全て溶け込んでしまい、感情の煮え切らなさが表現できない。

そうして二人はシチューを口に運ぶ。その時、肉片やじゃがいもたちと同時に、「わたしの言葉」も「あなた」の口に運ばれるが、「あなた」は気付かずに嚥み下す。そうまでして言葉を「あなた」の中に届けたかった「わたし」は、この食卓に満足できるのだろうか。私たちは、届けるすべを持たない言葉を抱きつつ、日々を生きている。

 

  羊水に溺れそこねて手のひらで膝の丸みを確かめている

 

羊水に溺れ死に損ねることで、この世に生まれてきた私たち。膝の丸みを確かめながら、自らの内側に籠りたいと願う一瞬。今晩の食卓では、「あなた」と何を話そうか。