澤村 斉美


若ければジゴクノカマブタという花のつまらなく咲く春の畔道

岡部桂一郎『戸塚閑吟集』(1988年)

ジゴクノカマブタは、シソ科のキランソウの別名。キランソウは地面に這いつくばうように生え、紫色の小花が群れ咲く。ありふれた雑草であり、それが春の畔道に、特に感興をもよおすこともなく、つまらなく咲いている、という。それにしても、初句の「若ければ」が読みどころだ。もし若いころであったなら、という仮定の上で第2句以下を詠っている。さほど若くはなくなった作者が、「ジゴクノカマブタ」という雑草に心をとめて、まったくつまらなくなく、春の畔道を歩いている。もし若いころにこの道を通っていたなら、この紫の小さな花の名前が「ジゴクノカマブタ」ということも知らず、知りたいとも思わず、つまらない春の畔道と思って歩いただろうな、と思っている。若いころには通ったことのない畔道を、年を重ねた「私」がいま行くとき、「もし若いころの自分なら」とふと思う。現在の私が、若いころの私をつれて歩いている。

 

岡部桂一郎の「つまらない」はまったくつまらなくない。

  春来んと端やわらかにひるがえる紙を押えて鉄の文鎮
  限りなくしずまれる界 生きよとぞ落花のうしろ梅また椿

同じく『戸塚閑吟集』から春の歌を。1首目は、春が来るころの風を詠う。窓が開いており、かすかな風を見たのだろう。鉄の文鎮で押さえた紙の端がひるがえる。「端やわらかに」が繊細だ。春一番から日数も経て、しかし春本番にはまだ少し間のある、かすかに春らしい風をよく表す。2首目は、花の散る木の向こう側に梅の木と椿があり、それらの花はまだ咲いている景色だ。そのしずかな空間にいて、「生きよ(生きるべし)」という強い念を感じとる。どちらもありふれた、非常に「つまらない」景色である。つまらない景色の深い存在感を岡部桂一郎は繰り返し詠う。