魚村 晋太郎


らくがきの「かじ山のバカ×一〇〇〇〇〇〇〇〇〇」のかじ山を思ひ出せず

真中朋久『重力』(2009年)

四月は、入学や進級の季節であり、子供たちが新しいクラス・メイトと出会う季節でもある。
子供たちは、社会に出るまでの間に、数百人のクラス・メイトに出会う。
数百人のなかには、もともと言葉をかわしたことのないような相手もいるが、毎日一緒に遊んだり喧嘩したりしたような間柄であっても、10年、20年という時間が流れると、いつのまにか記憶から消えていることがある。
生まれ育った土地を離れて生活する人にとっては、特にそうである。

一首は「小学生われの使ひしノートなり価五〇円『ま中とも久』」という歌のすぐ後にある。
まだ自分の名前を漢字で書ききらなかった小学生の頃のノートをなにかの機会に見つけたのだろう。そのノートのすみに落書があった。
零が9つあるから、10億。バカ、と悪態をついただけでは足りず、10億倍と付け足した。
その相手の、かじ山、という少年のことを作者は思い出すことができない。

人生は長いようで短いし、短いようで長い。
何を覚えていて、何を忘れるか。人は、自らの記憶を選ぶことができない。
そして、忘れてしまったことについては、それを忘れてしまったことすら、ふだんは意識することがない。
微笑ましい一首ではあるが、そんなことをあらためて思い出させてくれる。

大人になっても、むろん時間は流れつづける。
子供のころよりむしろ速く、容赦なく流れる。
若い頃書いた短歌を見て、どんなシュチュエーションで書いたんだっけ、などと立ち止まる日が、或いは、いつか来るのだろうか。