黒瀬 珂瀾


唇にはりつく桜花まがなしく紙片一枚の関わりにいる

佐伯裕子『ノスタルジア』

 

風に散る桜。そのひとひらが唇に貼りついた。華麗に舞い散ってゆく無数の花弁の、その中の偶然のような一枚が、口元を訪ねた。それは、物を言う人間である私と、物言わぬ桜との、ただ一瞬の出会い、関わりの形である。

 

作者はそのような関わりが、悲しいという。それは一枚の花弁が、一枚の紙片を連想させ、その一枚の紙片でのみ繋がる人と人との関係を思い起こさせるからだと言う。自然と私を繋ぐたったひとひらの桜。人と人とをつなぐたった一枚の紙片。私はいま、そんな「まがなしい」関係の当事者として、桜の下を歩み、紙片だけで繋がる、会ったことも無い人のことを思う。紙片だけの関わり、とは何だろう。世間にはいろんな関係がある。偽装結婚、偽装養子縁組の話も珍しくない。ただ、掲出歌と同じ一連の歌を読む限り、それは「相続関係」らしい。

 

  相続のうすき輪のなか幻惑をされて堕ちゆくこころと知れり

 

僕は役所から突然、「お前は○○××名義の土地の相続人の一人だ」と告げられたことがある。曾祖母の弟の残した山林と田畑があって、相続人は僕を含めて36人いるとかなんとか。親戚でがやがや話しあって、結局相続放棄をしたが、同様の経験を持つ人は多いんじゃないだろうか。佐伯さんの場合は、どのような「相続」があったのかはわからないが、その紙片一枚で証される遠い関係性に、めまいを起こすような錯覚を感じたのではないだろうか。

 

  大空を相続せむと記すとき緋の印影のかすかに震ふ

 

財産ではなく、「大空」を相続するという(もしかしたら相続放棄の比喩かもしれない)。その時、一枚の紙片にはまた、唇に貼りつく一枚の桜花のように、紅い印影が捺されてゆく。