不実なる手紙いれてもわが街のポストは指を嚙んだりしない

杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』(2010年)

『パン屋のパンセ』に詠われるポストは、まるで信頼できるたった一人の友人のような存在感がある。「不実なる手紙」の中身は、書いた本人とそれを受け取る人しか知り得ない。だが作者は、「不実なる手紙」を投函するとき、その秘密をポストと分け合うような心持ちがしたのだろう。ポストは、不実なることを成した自分に対して、「指を嚙む」なんて反撃や制裁は行わず、黙って手紙を容れる。街じゅうのひそやかな出来事を受け取りながら、変わらぬ姿で黙って立ち続けるポストに、作者は奇妙な信頼感を抱いている。そのことは、「嚙んだりしない」と言い切って終わる文体からも感じられる。

 

  手紙出しにくる老人の指などもポストの口に記憶されいむ
  雨の夜のポストに会って来たことがたった一つのアリバイとなる

 

これらの歌にもポストへの信頼感がある。1首目の「手紙出しにくる老人」の姿には作者自身も含まれていよう。ポストが自分を知っている、指を記憶しているという。2首目は「アリバイ」というところが面白い。ある雨の夜、自分がどこにいたかを証明する出来事が、ポストに会って(郵便物を出しに行って)来たことだという。証明者はポストなのだ。私がそこにいたこと、深読みすれば、生きていたことを、ポストが目撃し覚えている。孤独が詩的にくっきりと立ち上がる1首である。

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