門扉までのタイルに溜る雨みずにそそぎてゆるき春の雨脚

上野久雄『冬の旅』(2001年)

雨ほど、言葉への欲を刺激する気象はほかにないだろう。身近でありながら、季節ごとにいつも新しい姿で現れ、心に入ってくる。上野久雄の掲出歌は春の雨を詠うが、これほど読者をほれぼれと浸らせる雨の歌もめずらしい。

家の玄関から門扉までの短い空間に、雨みずが溜まっている。タイル張りだから、溜まるといってもうっすらと溜まるか溜まらないかぐらいだろう。そこに春の雨が降っている。雨脚は見えながらも消えそうでやさしい。それが「ゆるき」だろう。「そそぐ」からは、しずかに淡々と降る様子が思い浮かぶ。

身近な景色を再現し、まるで読者もその場にいて雨を見ているかのように実感させられる1首だ。「門扉までの」という入り方が実は巧みだ。「どこから」門扉までなのか、という情報が省略されているが、読者は、作者が「玄関に立って、玄関から門扉の方を見やっている」のだろうと、状況を補って読む。景色を見る視線を、作者と読者で共有できるようになっているのだ。初句ですでに、読者は雨の世界にすっぽりとつつまれる。

上野久雄は、日常の何でもない場所、つまり家とその周囲をほとんど離れない場所を多く詠った。

半開きのドアより女人の手はのびてすばやく朝刊を拾い上げたる

朝日射す入り江のようなバスタブに湯がどれくらい溜まったか見に

いずれも遺歌集『雪の甲斐駒』(2011年)から。どちらも、なんでもない場所を取り上げながら、虚実が不意に揺らぐような瞬間を詠いとっている。

 

編集部より:上野久雄遺歌集『雪の甲斐駒』はこちら↓

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